一般向けにわかりやすく書かれた本なのでしょうけど、ところどころつまづきながら読みました。
経済の本は、読んでいるつもりでいたのですが、全然知っていないことを思い知らされました。
以下、面白いなーと思ったところを抜粋します。長く見えますが3ページほどです。
P128------------------------------------------------
需要の飽和
さて
ロバートソン1930年4月、政府の「マクミラン委員会」で、眼前に進行しつつある深刻な不況について自らの意見を陳述した。マクミラン委員会は1929年11月に設置された委員会で、ケインズも有力なメンバーの一人であった。この委員会に提出されたメモ
ランダムをわれわれは今も読むことができる。それはきわめて深い内容の論文である。
ロバートソンは「世界不況」の原因として第一に「需要の飽和(the gluttability of wants)」を挙げた。「需要の飽和」こそは、世界不況において「最も根本的であり、最も分析が難しく、そして最も解決が難しい」問題だ。こうロバートソンは言っている。
既存の財・サービスについては、需要が一巡すればやがて飽和するときがやってくる。それは絶対的なものではなく一時的なものではあるけれども飽和が多くの財・サービスに及べば、不況は深刻なものになる。これを克服するにはどうすればよいのか。
消費財についての最大の解決策は、絶えず新しい欲望を刺激し続けるという少々魅力に欠けたものであろう。実際この不道徳(inmoral)な方法をこつこつと実践した国が大不況という病を延期することに成功した国なのである。「新しい欲望」を刺激し続けることによって不況を克服する。そうしたことに対してロバートソンの目は冷やかである。「需要の飽和」が不況の原因だとしながらも、ロバートソンには景気のアップ・ダウンは避けがたいものなのだという一種の醒めた考え方があった。とりわけ景気をよくしようとして「無理をする」ことに対しては批判的であった。
先の引用に続けてロバートソンは、
新聞で読んだ話として次のような軽口(
ジョーク)を飛ばしている。「
ドイツ風塩漬けキャベツ協会は、わずか2年で全
アメリカを塩漬けキャベツ・ファンに変えることに成功した。神様の
贈り物であるキャベツ漬けの名誉を回復することにより、消費が20%も増加した、というのである」。
「断えず新しい欲望を刺激し続ける」新たな財・サービスの創出こそが深刻な不況を脱出するための切り札だとしながらも、ロバートソンはこれを「不道徳」だとした。有限な資源、環境の下で自然との共生が重要な課題として共有され、「もったいない」の美徳が再認識されるようになった今日、どこまでも新しい欲望を刺激し続けることに疑問を感じる人もいるだろう。しかしまさに人間の「欲望」こそは、「経済」を考えるとき最も根本的なものなのである。
ドイツの歴史学派の一人
ヴェルナー・ゾンバルトは、「贅沢」こそが資本主義経済の生みの親であり牽引車であった、ということをさまざまな事例を通じてきわめて説得的に論証した。ロバートソンが言う「新しい欲望」の具合的な中身は「贅沢」だとゾンバルトは言うのである。そもそもそれは資本主義の生みの親ですらあった。
技術が十分に発達する以前に、工業を資本主義の中に投げこんだものは何であったろう?あるところでは手工業がいぜんとして幅をきかしているのに、別のところでは資本主義的組織によっておきかえられた理由は何であろう?
支配的な意見の代表者は次のように答えている。地理的な販路の拡大のおかげで、資本主義は、工業労働に対して権力をふるうようになったのだと。私はまったく逆の回答を出したい。より重要であったのは、強大な奢侈消費の形成が工業
生産組織に与えた影響であるということだ。きわめて多くの場合(すべての場合ではない!)、資本主義に門戸を開き、資本主義をきわめてのんびりした都市の手工業の中にもちこんだのは、実に奢侈消費であった。
ゾンバルトの議論の特徴は、「贅沢」の元をさらにたどっていくと結局のところは女性の力がリードする「
恋愛」こそが「贅沢」を生み出す源泉だった、という明快な結論にある。
こうしてすでに眺めたように、非合法的恋愛の合法的な子供である奢侈は、資本主義を産み落とした。ゾンバルトはけっして軽口をたたいているのではない。これは碩学がその博学をもって下した資本主義経済の本質に関する結論なのである。
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